は、は、と息を弾ませ、暗い路地裏をひたすらに走る。
今立ち止まれば、殺されるかもしれない。
血
1歩、足を進める度に右足の傷が酷く痛んだ。
だが、今あいつらに見つかるわけにもいかない。
直江兼続は若くして国王の補佐官となり、国政に深く携わっていた。
だがここ数年の外国との情勢はあまりよくなく、更に内陸に位置するこの国は敵国に囲まれていた。
近々、大国が侵略のために攻め入ってくる、という噂もあった。
そうでありながらこの国が長く抵抗を続けられたのは、国王の人脈と、兼続の手腕のためだった。
だがつい先日、国王が他界し、今は一番不安定な時期だった。
そしてここにきて、実質的な指導者である兼続の暗殺がもくろまれた。
まさか国内にスパイがいるとは思わず、不意を突かれた兼続はとにかく逃げるしかない。
そう思って走っていると足に力が入らなくなり、ついにぺたんと座り込んだ。
もう後は見つからないように祈るくらいしかできない。
胸元で小さく十字を切る。
彼はクリスチャンだった。
せめて止血しようとするのだが、肩に当たって止まった弾が痛み、力が入らない。
赤い鮮血は聖職者の証である白の衣を汚し、染めていく。
出血により遠のく意識の端で、足音が聞こえた。
―万事休す、か・・・
瞳を閉じ、覚悟を決める。
死に恐怖を感じる訳ではない。
たが、未練はあった。
―あの方に代わり、この国を守ると誓った・・・。
亡き主君の姿が脳裏に浮かぶ。
目の前に人の気配を感じるのだが、その人物を確認しようとも思わなかった。
―殺すのであれば、早く殺せ・・・
自分の足にはもう力など入らない。
前に立つ人が手を上げ、マントを翻す音がした。
覚悟を決め、最後に神に祈ろうとするのだが、その者は予想外の行動にでた。
兼続の顎を掴み、ぐいと上を向かせる。
閉じていた目を開けてみると、見えたのは男の姿。
雰囲気から察するに、まだあどけなさの残る、20代になったばかりの青年。
重そうな装飾の着いたマントを羽織り、兼続とは対称的な闇に紛れそうな黒の衣装を身に纏っている。
鋭く光る隻眼が、まるで品定をするように兼続を見下ろしている。
しばらく見つめたと思うと、つ、と指先で兼続の血を辿る。
「・・・貴様の血は、旨そうな匂いがする」
くっくっ、と笑いながら思ったよりだいぶ低い声で目の前の男が言った。
「汚れをしらぬ、美しい血じゃ」
聖書にでてくる蛇の様に男が誘う。
「差し出すならば助けてくれよう」
兼続は黙っていた。
伸びてきた腕を拒むこともなく。
赤い月に誘われて、自分は暗闇へ堕ちていく。
目をそらすように閉じた。
闇は一層濃くなる。
ひたと首に当たった唇の感覚はまるで夢のようで、近づいてくる足音だけが現実のもののようだった。